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December 31, 2004

ブログを書き始めた年が終わるにあたって

Blogを26カ月続けてみて

自分でブログを書き始めた、初めての年が暮れようとしている。とりあえずの形だけではあるけれど、7月下旬から毎日書き続けられたことが、1つの成果だと思っている。

予想していたよりずっと多くの方達に読んで頂いていたようで、正直驚いている。

特定のテーマを追求するのではなく、その時々、主にネット上の記事から考えた事、気になった事を書いているので、読みづらいところも多いはずなのに、(正確なデータではないけれど)8月以降の平均で、500PV/日、200visits/日のアクセスが継続していることは、本当にありがたいことと思っている。何かお役に立っていればいいのだけれど(w

上のリンクは、30日で最終回となった、梅田望夫氏の「英語で読むITトレンド」の最後のエントリー。26ヶ月続いた人気ブログと、同じ場所に到達できたとはとても思えないけれど:

それで、自分がこれからBlogを長く続けていけるとしたらどういうタイプのBlogだろう、ということをずいぶん考えた。結論は、自分のとっての「知的生産のための道具」という意義に集約していった。
本欄では実験的に、活発な議論がわくだろうテーマをときどきは選んでみたけれど、正直なところ「そういうことをずっと続けていきたい」と思えるほどの興味はわかなかった。議論はまあ本業の世界、つまり自分のリアルワールドの仕事で嫌というほどやっているわけだから、わざわざその上ネットでも・・・という気が起こらなかった、というのもある。毎日続けている勉強のプロセスの一部を公開するという意味合いでBlogを始めて、それを続けてみようというのが基本姿勢だったわけで、結局そこに戻っていくのだなぁということである。

という箇所には、全く共感できた。

プロ野球改革の時も、ブロガー新聞の時も、言い訳になるかもしれないけれど、私は自分の意見を伝えたいというよりは、「これは他の人に伝えたい」と思えたネット上の記事や意見を、他の人達につないでいくことに、重心を置いてきたつもりでいる。

それが、自分にとっての「ブログ」であり、「ジャーナリズム」だと思うから。つないでいく中で、自分なりの分析を提示して、読んでくれた人に自分の意見を汲み取ってもらえたら、私はそれで十分だと思っている。

いい加減に書いているつもりはないけれど、このブログを書き続けることは、私の日々の全てではなく、「日々のかけら」だ。このスタンスはこれまで変えてきていないし、これからも保っていきたいと思う。そして、自分にとって欠かせなくなってきたこの道具に、磨きをかけていきたい。

コメントやトラックバックを頂いた方々、読んでくださっている方、どうぞ来年も、そんなmy.Hurusato.orgを、宜しくお願いいたします。

新年は、今年のエントリーでたぶん一番TBやコメントを頂いた、キャス・サンスティーンの本を読み返しているので、その話をもう少し書いてみようと思っている。

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December 30, 2004

大阪でお世話になったカフェ

hills パン工場 カフェ

先日の大阪長期出張では、やっと大阪という街に馴染むことが出来た。東京のそれとはおよそ概念が違う地下鉄網も、やっと頭に入れられた(w

ホテルが北堀江だったので、休日には散歩したりしたけれど、来る度にこじゃれた店が増えている気がする。近くに「アメリカ村」のような若い人達の集まる場所があるからかもしれない。

カフェも何軒かあって、午前2時くらいまでやっている。その隣に歴史のありそうな日本家屋や製材工場があったりする、変わった雰囲気の街だ。

上記のリンクは、その北堀江で、休日によくお世話になったカフェ。倉木麻衣等のCDをリリースしているGIZAスタジオの関連会社が経営しているパン屋兼カフェ。おいしいコーヒーが朝から22時まで飲める。

いつも2階の窓に面したテーブルでブログを書いたりしていたけれど、近所でも評判の店らしく、家族連れやカップルがひっきりなしに来店していた。

大阪に行ったら、また行ってみたい。お近くの方はぜひどうぞ!

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ユーザーや株主であることを誇るに足りる企業

Apple:Our hearts reach out to those hurt by Indian Ocean tsunamis.

米AppleのWebサイト。トップページ全面が、インド洋津波被害支援組織へのリンクになっている。既にホリデーシーズンに入っているのに、実に素早く適切な対応だと思う。

最初に購入したパソコンがMacだった(現在はPCを併用している)こともあって、現在は(たかだか)1株の株主になっていたりするのだけれど、iPodといい今回の対応といい、実際、ユーザーや株主であることを誇るに足りる企業だと思う。

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『希望格差社会』を読み終えて 2

山田昌弘氏の『希望格差社会』を読んで考えたことを、もう少し書いてみる。

1)まず、昨日のエントリーの中で書いた「リスク管理能力・態勢の導入・強化」と、山田氏が紹介・敷衍している『パイプライン』(ダニエル・ヤンミン等が日本の教育課程を捉えた概念)について。

例えば、現在の『パイプライン』は、一定の年齢になったら、青少年に一斉に、受験という形で「株」を買わせる制度だと捉えることも出来ると思う。

かつては、どの銘柄を買っても或る程度満足なリターンが得られたけれど、最近は、低人気の銘柄では、投資した元本が保証されなくなってしまったということではないか。

もし、受験を通じて購入する「株」のリスク量が増大しているのなら、購入時点で、各銘柄の抱えるリスクの種類・量について、できるだけ正確な情報を、受験指導等を通じて、購入者が得られるようにする必要があるだろう。

ところが、受験する学校の情報は、リスク情報(例えば就職できない可能性の大きさ等)としては極めて不十分な開示しかなされていないと思う。こんな状況で『頑張って株を買うんだ』と指導して、受験という投資に失敗する者が出てきたとしたら、自己責任には帰しがたいはずだ。

リスクへの管理能力・態勢の導入・強化とは、こうした「投資家保護」措置が、教育や就職にも必要だろうということだ。

2)次に、リスク化・二極化は、若者だけの問題ではないということ。

現在の私達の社会制度等は、「終身雇用・年功賃金」「専業主婦家庭」を当然の前提として、そうした世帯に依存していると思う。

仮に、今後、そうした世帯が安定的に存在し続けるのが困難になるとしたら、そうした社会制度等の維持も困難になるはず。

この時、社会制度等を維持しようとするのならば、専業主婦家庭等を形成・維持するためのリスクを、若者だけでなく社会全体で負担するなり、軽減する必要があるだろう。これが出来なければ、社会制度等の維持はますます困難になって、制度の方を修正する必要が出てくるかもしれない。

いずれにしても、若者にリスク負担を集中して解決できる問題ではない点を、私達は理解する必要があるのではないだろうか?

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December 29, 2004

『希望格差社会』を読み終えて 1

山田昌弘氏の『希望格差社会』を読み終えたので、少し書いておきたい。

この本の中で、山田氏は、職業・家族・教育という、社会の3つの側面について、リスク化と二極化が進行していることを指摘している。

詳しい内容に触れるのは、また後日として、結局、この状況をどう打開すべきなのかについて、自分なりに総括してしまうと、リスク管理能力・態勢の導入・強化ということではないのだろうか?

つまり、社会生活をおくること自体に、様々なリスクが伴うようになってきた状況は、おそらく変えられない。そして、リスクが伴うということは、それだけリターンも大きくなってきているということでもある。

そうだとすれば、リスクを取る(テイク)能力をいかに身に付けていくか、そして、直面しているリスクが、その時には取れない程度のものならば、その時は無理して取らずに、取れるようになった時に、取ることができるような社会制度を準備すること。これらが、対策の根幹になるはずだ。

リスクを取れる人には積極的にリスクを取ってもらう。リスクをその時取れない人には、無理にリスクを取らせないようにする。成長と安定化を同時に達成するには、この2つが必要なのではないか?

そして、いつでもリスクを取れるようになったら、取れるようになった範囲でリスクを取って、それだけのリターンが得られるようにする。後は、各リスクと各自の対応能力・対応態勢の見極めを、社会的にもサポートしていくことではないか?

具体的には、例えば職業・教育分野では、受入態勢の多様化・柔軟化なのではないか?そして、注意すべきことは、現在の私達の社会制度が、「終身雇用・年功賃金」「専業主婦家庭」を当然の前提として、そうした世帯に依存していることだろう。

つまり、そうした世帯が、安定的に十分な数、存在し続けなければ、社会制度の方がとこかで破綻するはずだから、職業・教育・家庭におけるリスク化・二極化は、若者だけの問題ではないということだ。社会制度を、高リスク化に合わせて変革する必要があるのではないか?

次のエントリーでも、もう少し書いてみたい。

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December 28, 2004

空の上からはこの下界はどう見えるだろうか?

銀河系近くで「赤ちゃん銀河」多数発見

全く個人的な話をすると、自分へのクリスマス・プレゼントとして、天体望遠鏡を購入した。星空を見るのは子供の頃から好きな方で、『全天恒星図』(1950年分点)とかにらみながら、実家のベランダから双眼鏡で見ていた。

望遠鏡は今回が初めてだ。米ミード社の20cmシュミットカセグレン(もちろん中古w)。子供の頃、憧れていた望遠鏡とはずいぶん違って、最近の望遠鏡は、指定した天体を(可能な範囲で)自動的に導入してくれる。

写真撮影も、デジカメが普及したのと、CCDカメラが安価になってきたこともあって、かなり様変わりしている。数分(或いは数秒)の露光で数カット撮って、後でPC上で合成すれば、長時間露光に近い効果が得られるようになった。

当面は、横浜といっても田舎の方の実家のベランダから観測する予定だけれど、こんなところからでも、CCDカメラ等を使えば、それなりの観測はできるようになった。さすがに、上記リンクの記事にあるような対象までは、全く見えないけれど。

なんで今になってと言えば、割と年齢に関係なく始めて続けられる遊びだと思ったから。初期投資は或る程度かかるとしても、経常的な支出は少ないこともある。

そして、下界のあれこれはともかく、自分の上に常に広がっている空を、ゆっくり眺めてみたくなったということかもしれない。あちらから、こっちがどう見えるかは分かりようもないとしても。

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December 26, 2004

法律を知ろうとしない立法者に明日を託せるのだろうか?

民主議員辞職 公選法にも問題がある

衆院宮城1区・2区での労組幹部の選挙違反事件について、最高裁が上告を棄却した話。上記のリンクは、MSN毎日新聞の社説。

裁判では、報酬を約束した電話作戦の違法性が争われ、最高裁は、アルバイト運動員の場合を違法と認定している。

ちょっと呆れたのは、以下の部分:

この事件に該当する公選法改正は93年に行われている。当時、民主党はまだ存在していなかった。法改正の眼目が小選挙区制の導入だったため、ほとんどの国会議員は細かい改正部分に注意を払っていなかった。この時には、連座制の対象を拡大する法改正も併せて行われている。
民主党関係者に言わせると、この改正項目に気づいたのは施行されてからだという。事件の背景には、労組の組織率が低下し、選挙に駆りだされる運動員が金を払わないと動いてくれないという実態もあった。
立法している国会議員やそれをサポートする組織が、『注意を払っていなかった』『この改正項目に気づいたのは施行されてから』というのは、どういうことなのだろうか?一体、自分達が審議している法律を、本当に読んで検討しているのだろうか?

しかも問題は、自分達がその法律の想定する当事者なのに、十分な検討をしていなかったということ。巷で話題になってきている『法令遵守意識』が欠けていたと言われても、仕方がないのではないか?M物産やS鉄道と同じレベルの話だろう。

政権交代も大事だけれど、国会議員や政党には、自分達の体質改善も同じくらい必要なのではないだろうか?このままでは、政権を取れたとしても、本当に大事なことが実現できるのか、心許ない限りだ。

この手の選挙違反は、昔から手法を変えては繰り返されている。官僚や大企業だけでなく、実は国会議員にも、自浄能力なんて期待できないのではないだろうか?

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「鳥新聞」からのコメントへ:

「鳥新聞」さんから、(このAnnexではなく本館の)10月4日のエントリーにトラックバックを頂いたので、ちょっと書いてみる。

1)「鳥新聞」さんが、『サンスティーンの引用』とされている部分は、私の勝手な要約だ。明記しとかないと、勘違いしかねない書き方だったかもしれない。申し訳なかったです。

2)上記のエントリーの中で、「鳥新聞」さんが『民主主義が多数決だ』と言われるのは、私もその通りだと思うけれど、多数決というのは、負けた方を無視ないし抹殺するという前提には、少なくとも「本来は」立っていないはず。

例えばビジネスならば、一種の食い合いなので、負けた方は何のリスペクトも受けずに、冷や飯食わされたり、消されてしまう事も、(違法でない範囲で)あり得ることだと思う。

他方、政治の多数決でそんな事をやってしまうと、ファシズム(とか多数の独裁)になるだろうから、基本的に避けることになっているはずだ。

日本の政治では、この辺りが曖昧というかごまかすことになっているようで、理念の対立を明確にすることなく、けなし合いに終始しているから、多数決でも何が選択されたのかが、曖昧になってしまっている。元々対立していないから、少数意見の尊重なんて配慮の必要が感じられていないように思える。

私がエントリーの中で紹介していた、キャス・サンスティーンは、連邦最高裁判事の候補といわれるような人で、或る意味、ネットをものすごく真面目に捉えていて、上記のような「政治」を担う道具になりうると考えている様子。

だから、ネット上での「多数決」の実効性のような点にも拘っていて、ネットは、アメリカ流のバリバリのディベートができる環境でなければいけないと考えているのだと思う。

3)「鳥新聞」さんは、「貞子ちゃんの連れ連れ日記」から:

私は共感を感じないところには行かない。勉強になるところと 共感を感じるところと 共感の嵐でお腹抱えて笑えるところしか 私は行きたくない。 だいだい 年末ですし 子供も愛する夫もいて 年賀状の整理だってあるし
という一節を引用されている。

この一節を書かれた筆者の真意はもちろん分からないけれど、『共感を感じないところには行かない』とすれば、ネットをサンスティーンのようには、真面目なものとは捉えていないのかもしれない。それはもちろん、それでかまわない。

ただ、そうしたポジショニングだと、互いに避けあってしまう(のが礼儀とされる)だろうから、ネットではディベートは成立しないだろう。そんな疲れることはネットではしないという、或る意味、普通の立場なのだろうと思う。

4)「鳥新聞」さんのエントリーの本題である、ゴーログ絡みの論争については、特段のコメントはないけれど、引用の時よりは、木村さんの文章を読ませてくれる時の方が、ゴーログはずっと面白いとは思っている。

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December 24, 2004

彗星を叩いて調べてみたい人達

彗星に衝撃弾を打ち込む、NASA版『ディープ・インパクト』

2005年の夏、NASAは、テンペル第1彗星に、ハンマー代わりの衝撃弾をぶつけて、舞い散る破片や出来たクレーターから、その内部組成を調べる予定という、いかにもアメリカらしい話。

NASAの彗星探査機『ディープ・インパクト』から、370キロの衝撃弾が発射され、幅4キロのテンペル第1彗星に、2005年7月4日に激突させるらしい。彗星内部の組成を科学的に確認する初めての機会とのこと。

打ち上げ後、ディープ・インパクトは地球から約1億3000万キロメートル離れたランデブー・ポイントを目指し、そこで370キログラムの銅の衝撃弾を彗星の進路に向けて発射することになっている。
すべてが計画どおりに進めば、彗星の太陽に面した側のちょうど真ん中に衝撃弾が当たる。彗星と衝撃弾は、時速3万5000キロメートルを超える速度で衝突することになる。
計画設計者によると、衝撃弾が彗星本体やその進路を大きく変えることはないという。

いや、まず本当に彗星に当たるんだろうか?誘導するのかな?連発なんだろうか?そこは自信があるのかもしれないけれど、個人的には、はずれた弾がどうなるのか、ちょっと気になるところだ。衝撃弾にはカメラも付いているらしい。

「ディープ・インパクト」って名前もちょっとどうなんだろう?映画としての評価はともかく、公開されている衝突予想図を見ると、こっちの方が当てはまっている気がするけれど。

いずれにしても、彗星まで叩いて調べてみたいという人達がいることに、ちょっと驚いた次第。

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December 23, 2004

米田さんのコメントへ:

先日の『大企業維持の方が国是なのか?』というエントリーについて、ココログAnnexの方に、米田さんからコメントを頂いていたのに、出張後+年末のゴタゴタで、全くご返事できずにいたので、お詫びも込めてエントリーでご返事させていただこうと思う。本当に遅くなりましたが、コメントありがとうございました>米田さん

米田さんは:

現在の日本の新技術開発の特にIT関連、エネルギー関連のもたつきは心配しています。やはり軍事関連からの予算の量とその下りてくるまでのスピードにはものすごいものがありますし。
と書かれていて、日本の技術開発に果たしている軍事産業の役割、その側面から見た場合のそうした産業の日本経済への寄与、といった点を、軍事産業の肥大化への懸念と一緒にコメントしておられる。これらの点には、全く同意。

ただ、私のあのエントリーの趣旨は、どちらかといえば、「国是とか言っていた割には、都合が悪くなると、本音と簡単にすりかえちゃうんだね?」という、武器輸出3原則周辺の人々のいい加減さ、或いは『国是』というものの脆弱さに触れてみたかった、という方向にありました。つまり、本当に「国是」っていうのなら、もっとちゃんと管理すべきじゃないの?ということです。

それで、せっかくコメント頂いた米田さんの論点の方でも、以下、少し書いてみます。現場を知らない者の戯れ言ですけれど(w

技術開発には適時・大量の投資が必要なはずで、軍事産業のような資金調達・人材調達が出来る企業体は、相当な優位を持てるはず。そして、そこで開発された技術が民間に還元されれば、私達にとっても十分納得できる「投資」なのだろうと思います。

ただ、その手の企業体で開発された日本の技術って、国際的に見て高度・高機能なのだけれど、飛び抜けて高価じゃないですか?つまりは、ちゃんと市場を見て商売しているのではなく、お金を気にせずにひたすら「良いモノ」を作ってしまっているような気がします。そうして開発された技術は、高価な点が災いして、民間への転用もなかなか進んでいないような気がします。

こうした点への対応として、M重工等が、国是を変えてしまってでも、世界市場を相手にしたビジネスになっていこうとするのは、それ自体、悪い一歩ではないと思います。民間にとっても活用しやい高度技術メーカーになるには、まだまだだと思いますけれど。

あと、例えば、IT系の技術開発の資金調達には、国家予算とか大企業だけでなく、証券化のような手法も取り入れていけないのでしょうか?大型プロジェクトへの投資にも、将来価値とか流動化を考慮に入れた資金調達が、もっとあっていいと思います。H2の失敗とか、もろに世論の反発を受けてしまっていますよね?

以上、コメントへの返事がとんでもなく遅れてしまって、すみませんでした。今後は気を付けます>米田さん

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外圧や外資がプラスになる時もあるのでは?

日本が元気になる規制緩和。外資が儲かる規制緩和

大西宏さんの「マーケティング・エッセンス」の12月22日のエントリー。規制緩和には、「日本が元気になる規制緩和」と「外資が儲かる規制緩和」の2種類があるという話だけれど、ちょっと趣旨が分からないので、自分なりの理解を書いてみる。

なぜ、規制緩和を、こうした2種類に分けておられるのだろうか?単に、『一部の企業には有益でも私達全体にとっては有害となる規制緩和もある』ということではないのだろうか?その見極めが重要というお話ならば、良く分かる。

ただ、私達にとって経済的・社会的に有益となる規制緩和ならば、それを元にして外資が儲けたって、別にかまわないのではないか?最近は、外資でまじめに働いている日本人も少なくないはずだし。

あと、地域特区について:

地域特区も、地域の経済を活性化させ、また地域の個性ある戦略を生みます。経済の波及効果がなくなってしまった公共工事を興して、財務を悪化させるのではなく、新しい産業が生まれるための規制緩和を進めていくことが本当の政府の仕事でしょうね。しかし、日本の産業のダイナミックな世代交代を進めるための、こういった規制緩和は遅れがちです。
と書かれているけれど、地域特区というのは、どちらかといえば、各地域が、一種のオフショアとしての魅力を企業にアピールするための立地条件補強策であって、新しい産業を誕生させる市場とか基盤となるには、1つの地域という経済規模は狭すぎると思う。

1つの地域の市場で成功した企業が、そのまま全国や世界で成功できるとは思えないし、例えば、電源ネットのような基盤系の産業ならば、最初から或る程度のマーケットを対象としてスタートさせる必要があるはず。地域特区というのは、その辺りまで面倒をみてくれる訳ではなかったと思う。

付け加えると、電源ネットが容認された背景には、ADSLと光ファイバーだけでは、日本のブロードバンド普及のスピードに翳りが見えてきて、ブロードバンド普及率では、世界トップ10から脱落してしまったという、一種の外圧もあったのではないかと思う。

これも、『外圧だからダメ』ということではなくて、私達にとってプラスになるのなら、外圧も利用してしまえばいいということなのではないだろうか?

たぶん、大西さんは、以上のような点は十分ご承知の上で書いておられるのだろうけれど、ちょっと気になったので。

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December 22, 2004

日本の専門サービスは、まだまだ鎖国状態

虫歯は海外で治しましょう

「週刊!木村剛」の12月21日のコラム。外国で免許を取得した歯科医師に対する、日本の参入障壁の話。

例えば、欧米とどう違うのかというと、うろ覚えではあるけれど、あちらには「レジデンツ」という制度があって、日本の医師・歯科医師免許を持った人でも、或る程度の医療を行えたはず。

日本にも、外国の医師免許保持者が日本の病院で研修できる制度はあるけれど、何年研修しても、日本での開業資格が得られる訳ではないので、殆ど利用されていなかったと思う。

こんな「鎖国」状態になっている要因は、日本の医療が、日本人しか対象にできず、日本の医療業界の中でしか営業できない脆弱な体質だからだと思う。多言語・多文化を当然に相手にする欧米の医療とは、養成過程や医療技能維持の制度等が大きく違っているようだ。

厚生労働省としては、厚生労働族の議員さん達の圧力もあって、こうした脆弱な業界を守る必要があるのだろうし、日本語を話せない医師を、うまく監督できないのかもしれない。

もちろん、私達が直接困ることはあまりないかもしれないが、日本に居住する外国人達は、G7の先進国なのに、英語を話せる医者がこんなに少ないことに困惑しているはずだ。

こうした状況は、看護師や助産婦、法律や会計・税務の専門家などでも同様だと思う。外国人にとって、安心して暮らせる国とはとても言えないのではないか?日本がグローバル化したと思っているのは、案外、日本人だけなのかもしれない。

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December 21, 2004

山田昌弘『希望格差社会』を読み始めて

山田昌弘氏の『希望格差社会』を読み始めた。例によって、あちこち拾い読みした上で、今朝、初めから読み始めたところ。

「教える技術」の難しさ:ジャンバラヤにトラックバック!

上記の「週刊!木村剛」12月20日のエントリーでは、木村さんが、「教えることの難しさ」「その難しさを克服して教えてくれる教師の貴重さ」という側面から、ゆとり教育への批判を展開されている。

ただ、どうも、山田氏のみるところでは、こうした『教師という投資先の選択』という側面だけでは、ゆとり教育の失敗、学力低下という問題は捉えきれないらしい。

例えば、教育分野でも自由市場化が進んでいる昨今では、『教師という投資先の選択』とは、どんな人に可能な選択なのか、を考えてみる必要がある。

教育技術について、特段の技術革新が広まっているとは聞かないし、大学等での教職課程が急に高度になったという話も聞かないから、教育の一般的な水準には、この10年で大きな進展はないと仮定してみる。

そうだとすれば、現時点で、高度な教育技術を持つ教師を選択するのは、カリスマ美容師や有機食品のように、ゆとりのある人には可能な希少性のある、高価な選択ではあっても、一般的に可能な選択肢ではないのではないか。

そうした選択が可能な人達だけが、自分の子供をゆとり教育の問題点から切り離せるにとどまってしまうのではないか。これだけでは、公共教育政策としては不十分だろう。

公共政策では、セグメント化で対応可能な他の市場とは、別の対応が必要になるということだと思う。

そして、教育によって得られるものを活用して、自分の未来をどこまで開拓できるのか?この点に一般的な見通しが立たなくなってきている昨今では、どんなに優れた教育でも、活用する事を諦めてしまう者が増えるのを止められないのではないか?

つまり、教育が機能するためには、その外側の社会問題に、何らかの解決を見つける必要があるらしい。

まだ読み始めたばかりだけれど、山田氏が提示している「教育問題」とは、こんな広がりを持っているようだ。

この問題の公共的な解決の難しさは、初めの話に戻れば、カリスマ教師を選択できる人達にとっては「どうでもいい問題」と捉えられてしまう点にある。

自分にとって直接は関係ない人達にも、社会全体を明るいものにするために、協力を求められるか?これは、みんなが同じように得するか損する、これまでの政治解決とは別の困難が伴う問題なのかもしれない。

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December 18, 2004

ブログやSNSは勉強会の代わりにならないか?

[週刊!岡本編集長] My favorite things <3>

「週刊!木村剛」の土曜日、岡本編集長のエントリー。ブログ・ジャーナリズムと勉強会について自身の経験と持論を展開されている。

私自身は、リアルの勉強会の経験はあまりないけれど、今のところ、ブログを書くのが一種の勉強会だと思って続けている。有名ブログやゴーログ周辺のブロガーには多彩な背景を持つ方が多数おられるし、そうした方の意見に、ブログを通じて触れるだけでなく、自分の意見をTBで返してやり取りもできる。

確かにバーチャルな場でしかないので、リアルな人間同士のやり取りには劣る面も多いだろうけれど、オフラインでブロガー達と会う機会が得られれば、かなり充実した勉強会に出来るはずだ。その意味では、ソーシャルネットワークの方が、さらに勉強会色が強いといえるのかもしれない。

リアルな勉強会の方でも、今後は、共同運営のブログ等が必須になってくるのではないだろうか?

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階層差を受け入れた上で原則平等を確保していくこと

希望格差社会における若者たち

「週刊!木村剛」の12月17日のエントリー。山田昌弘教授の「希望格差社会」という概念が紹介されている。

ただ、日本社会に(簡単には埋められない)階層差が現れ、再生産され始めているという話は、例えば以下の2冊でも提唱されていたと思う。

『日本のメリトクラシー』 竹内 洋
『階層化日本と教育危機』 苅谷 剛彦

前者は、入学試験という(一見)平等な選抜に依存してきた日本型の学歴社会が、その中での成功者へのメリット供与を通じて、どのように固定化・階層化していったかという話(だったはず)。

後者は、学力低下論争で脚光を浴びた苅谷氏が、現在の学力低下の背景には日本社会の階層化があり、『教育改革は、階層化を前提とする必要がある』との主張を、多様なデータ分析で跡付けた本。

個人的には、学力低下問題については、山田教授も言われているように、『何が構造的な要因なのか』が掘り下げて論じられていることが本当に少ない。授業時間とか授業方法とか若者のやる気とか、そんな表面的なところに全てが還元されて終わりという感じだ。

例えば上記の苅谷氏の様々な主張の中でも、他の部分はかなりあちこちで見かけるのに、階層差に係る部分は、あまり引用されていないように思える。

教育を、少年・青年が自分の将来を組み立てていく材料の提供だと考えた場合、簡単にいえば、若者達が、やってもどうにもならないと考えてしまったら、努力が徒労に感じられるのは無理もないということだろう。

これまで(私も含めて)多くの大人達は、『階層という、個々人の努力だけではどうにもならない問題』に触れないように、『自分達は中流だ』と思い込んできたのだと思う。階層の存在を否定するために、中流と捉えてきたのではないか?そして、問題を、「個々の若者の努力」のようなところに還元してきた。

階層差の存在を認める事は、国内世論の統一自体を困難にするはず。階層が違えば、利害が違ってくるだけでなく、場合によっては、一方のために他方を犠牲にする必要さえ生じるだろうから。

こうした利害対立を乗り越えられるかどうかが、学力低下の背景にある大きな課題なのだろう。

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December 15, 2004

授業時間だけが問題ではないはず

文科省「ゆとり」転換、授業時間増を検討

文部科学省が、学力低下を示す国際調査が出たことを受けて、小中学校などの授業時間を増やすため、標準授業時間の見直しの検討に着手したという話。

実現すれば1977年から減り続けていた授業時間が約30年ぶりに増加に転じることになり、文科省が推進してきた「ゆとり教育」の方針を、事実上、転換することになる。
とあるけれど、授業時間の多寡ではなくて、授業の方法とか内容の問題ではないのかな?77年から授業時間は減少しているけれど、学力低下が顕著になったのは最近の話だと思うから。

今後、どんな具体策が出てくるのか、注目してみたい。

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December 14, 2004

大企業維持の方が国是なのか?

武器輸出へ財界『一歩前進』

非核三原則とともに、憲法の平和主義の理念を具体化してきたとされる、武器輸出三原則が、10日の官房長官談話で「すべて禁止」から「限定解禁」に緩和されたという話。

個人的に気になっているのは、どちらかというと「国是」なるものの位置づけ。

上記の記事には:

防衛産業は「海外輸出ができなければ成り立たない」といわれる。現在、大手重機メーカーで防衛部門が売り上げに占める割合はせいぜい10%程度。三原則が解禁されれば、生産の拡大が見込める。
とあるけれど、平和主義とかより、『生産拡大』の方が、国是だったということなのだろうか?

それに:

なぜ財界はここまでこだわるのか。井上氏は「防衛産業は先端技術開発の大きな柱で、それを応用する民生技術の基本でもある。世界に取り残されれば、生活水準の低下も招きかねない」と話す。
『生活水準の低下』って、基本的に影響を受けるのは、M重工とかIH重工業役職員達の給料くらいじゃないのかな?かつてに比べて、日本経済は防衛産業といった重工業に依存していない。新しい産業分野も育ってきている。

自分達が構造転換に失敗してきたツケを、国是にしわ寄せするくらいだから、財界維持が最高の国是であることは、間違いなさそうだ。

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December 13, 2004

政権交代だけでは変えられないものがあるはず

「現体制に最後の日」・ウクライナ大統領選野党候補会見

ウクライナ大統領選の野党候補・ユシチェンコ氏が入院した病院が、通常値の1000倍のダイオキシンが同氏の血中などから検出されたと発表したという話。

ユシチェンコ氏は:

「(現在のウクライナで起きていることは)ソ連やベルリンの壁の崩壊に例えるのが適切だろう」と言明。ウクライナの現体制が「最後の日を迎えている」と、決選投票に意欲を示した
とのことだけれど、野党候補を毒殺しようとした情報当局とか、それを『ウイルス性の感染症』として捜査を打ち切った検索当局がそのままなら、何を本当に変えられるのか、不明瞭になってしまうはず。

野党が政権を執ってから、専門機関まで制御できるようになるには、まだまだ年月がかかるのではないだろうか?

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信じてもらえる経営者を出せない大企業に、明日はあるのだろうか?

三菱自、日産にトップ派遣要請 新経営計画断行で

経営再建中の三菱自動車が日産自動車に対し、経営トップの派遣を要請しているという話。日産は返答を保留しているらしい。そりゃそうだと思う。資本提携や業務提携と違って、出せばどうにかなるというものではないはずだから。

経営再建の道筋を確実にするため三菱自は、カルロス・ゴーン社長のもとで業績をV字回復させた同業他社の日産へのトップ派遣要請という前代未聞の手法で、市場の信任を得たい考えだ。

どこかの自動車メーカーの以前のコマーシャルに、『ダイムラーベンツの安全基準を導入しました』といって、自分のところの箔付けをしていたのがあったけれど、あれはどこのメーカーだったろうか?

同じ基準を導入したといっても、それを同水準で実行し続けられるかどうかが、それぞれのメーカーの本当の実力のはずなのに。

他社から経営者を連れてこなければ信任を得られない大企業って、一体なんなのだろう?例えば自分に、ものすごい経営の才能があったとしても、そんな大企業にだけは行きたくないものだ。

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December 12, 2004

ネタにしたい人には「問題」らしいことについて

切込隊長、本当に残念です。でも、ありがとう。
木村剛2 ~クイズ17人に聞きました

やれやれ、なんでまた木村さんは、一・部外者の私のところに話を振るのかな?それに、トラックバックいただいたエントリーは、ゴーログにはTBしていなかったと思うのだけれど。

一番の上のリンクは、「週刊!木村剛」の12月12日のエントリー。2番目のリンク:切込隊長の12月10日のエントリーへの返答ということになるのだろう。

その中で:

なお、切込隊長が設定した設問に対しては、「my.Hurusato.org」さんが「雑感:日本振興銀行についての切込隊長の記事について」において整理していらっしゃいますので、ご一読まで。
と、私のエントリーをご紹介いただいた。ありがとうございました。ただ、上に書いたように、この記事は、ゴーログにはTBしていません。

理由は、記事の題材にしていた隊長のエントリーについて、木村さんに何か言えるような関係者では、私はないから。

そして、民間企業の話は、法令違反とか公共への大迷惑とかがない限り、部外者が「不適切」とかいうべきではないと思っているから。

甘やかすのではなく、自分達の手で何とかするのが当然で、他人が手を貸してやる必要はないと思うから。だって、それくらい覚悟して企業始めたはずでしょう?

そうした観点から、結論をいってしまえば、上の2番目のリンクで、切込隊長氏が書かれている情報に接しても、隊長氏の「問題」は、私にとっては「問題」ではなさそう。日本振興銀行に特段の利害関係もなく、隊長のような「特段の関心」もないのだから、仕方がない。

それに、株主間でちゃんと話せば済みそうな、思っていたよりマトモな話なのではないか?もちろん、私にはそう思えるだけで、心配性なのかもしれない隊長氏にどう思えるのかは分からない。

それと:

関係者「そう、貸し出しをした40億全額を、引当として積まないといけない」
山本「そうすると、資本金30億しかないのでいきなり債務超過になる」
なにこれ!? 日本振興銀行の9月中間期(PDFファイル)の開示債権額が40億21百万円、そのうち37億91百万円は正常債権だよね?

普通に考えたら、正常債権には引き当てする必要はない。金融庁検査マニュアルでいう、「債務者分類」ではなく、「債権分類」の方の話で、正常債権はI分類だから、担保があってもなくても引き当て不要じゃなかったかな?

3ヶ月延滞とかでII分類やIII分類になると、優良担保とか優良保証とかが問題になるはずだけれど。

唯一心配なのは、債権分類が間違いなく出来ているかどうか。こればかりは、個々の貸出先の話なので、個々に見ることができない限り、判断すべきじゃないと思う。

財務諸表を見て気になるのは、どちらかといえば、業務収益(84百万円)に対して過大な業務費用(11億6百万円)。

もちろん、これはいわゆる「創業赤字」という奴なのだろうから、この費用が後2年くらいのうちに収益につながるかどうかが鍵なのではないか?収益につながらないような費用がきちんと抑えられているかどうかも、株主には気になるところかもしれない。

さて、記事をご紹介いただいた御礼(?)として、木村さんに一言:
情報管理はもっと厳重にされてはどうですか?ご時世柄、情報漏洩は信用にかなり響く可能性が高いと思いますよ!

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December 11, 2004

医者にも品質管理が必要なのでは?

東京医大病院、心臓弁手術で4人死亡…同一医師が担当

東京医科大学病院2外科で、2002年10月から今年にかけて、或る男性心臓外科医が担当した心臓弁膜症の患者4人が、手術後に相次いで死亡していたという話。

医療ミスを疑った3遺族は、東京簡裁に証拠保全を請求、これを受けて同簡裁は10日、死亡患者3人の診療録(カルテ)などの保全手続きを行った。心臓弁膜症手術の死亡率は3―4%とされ、専門家は「極めて異常な事態」としている。外科医が所属する医局は、院長ら病院トップに事実を報告していなかった。

こんな人でも医者を続けることができて、高い報酬を得られるんだとしたら、医者というのは、本当にうらやましい商売だ。M自動車並みでも問題なしということか?

政治や経済については、情報武装して分析能力磨けば、或る程度自衛できるけれど、病気については、医者という専門知識・経験があるだけの普通の人に、場合によっては命までお預けしないといけない。医師の品質検査を導入するべきじゃないだろうか?

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December 10, 2004

埋めるとヒマワリが咲く携帯電話

土に埋めると花が咲く携帯電話

英ウォリック大学のケリー・カーワン博士等が、生分解性プラスチックを使って、土に埋めると分解しミニ・ヒマワリが咲く携帯電話を開発したという話。

携帯電話の外装を生分解性プラスチックに変え、種を埋め込んだことで、内部の電子部品を取り除いて堆肥に埋めると、バクテリアによって数週間で分解され、発芽するらしい。

使用済み携帯の処理には、極めてシャレた対策ではないだろうか。咲くのがミニ・ヒマワリというのも、見栄えのする面白い選択だと思う。日本でもどこかのメーカーが実用化してくれないだろうか?

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December 08, 2004

雑感:日本振興銀行についての切込隊長の記事について

木村剛1 ~薮蛇呼ばわりされるのは大変光栄なわけだが

有名ブログの「切込隊長BLOG(ブログ) ~俺様キングダム」の12月7日のエントリー。

木村剛氏が現在手がけているココログは、インフォバーン社と私の経営するI&Pがニフティの著名人ブログ企画を引き受けて実施しているものである。木村氏のココログ実施オファーについては、弊社社員がKFiと連絡を取り合いながら実現したものである。
とあるけれど、これは「モノログ」も含まれているってことなのだろうか?

なんだ、道理で、ネットジャーナリズムについての切込隊長氏の主張が、或る意味、ゴーログ・ココログ的に良く整理された形で反映されているはずだ。私の先日のエントリーは、取材を欠いた書き物の弱みを典型的に示していた、ということかもしれない。

ただ、上記のエントリーで提起されている問題の所在は、ちょっと個人的にはよく分からない。というのは、切込隊長氏はたぶん上記のエントリーに記載されていないネタをいろいろ持っているようなので、現時点では氏が「問題」としているのが、どの点なのかがちょっと明確でないように思えるからだ。

以下抜粋とコメント:

A なぜ、またはどのようにして日本振興銀行は設立できたのか。設立の過程、設立後の人事について、適切な行政判断が行われたのか。ほかの銀行設立申請に比べて、格段に有利な条件などが設定された経緯はあるのかどうか。

これは、日本振興銀行への金融庁の設立認可の適切性の話に、結局、収斂しそうだ。裏で民事としていろんな事があったとしても、行政上の認可が適切になされたのなら、無関係の私のような一般の部外者にとっては、どうでもいい話だ。とりあえず、適切に設立された銀行であることには変わりがないはずだから。

行政上の認可に不適切な点があったとかの点について、何か確実な話が落合氏等の手元にあるのであれば、告発できるかもしれないけれど、現状出てきている情報からは、そこまでの情報とはちょっと思えない。もちろん、裏でいろいろあったことが隊長氏のテーマなのかもしれないので、こんなコメントは格好悪いのを覚悟の上。

B Aに絡んで、日本振興銀行の設立に深く関与した木村剛氏に対して、落合氏や日本振興銀行から便益が提供されなかったかどうか。
この点が、「問題」となるとすれば、銀行法に触れるような話があったかどうかということになりそうだけれど、そういう話でなければ、結局は民事上の裏話なのではないだろうか?誰がうまくやったかという話なので、これも、私のような者にはどうでもよい。これも、落合氏や隊長氏がどんなネタを隠しているのか分からないので、現時点のネタでは「問題」とは思えないというに止まる。
C 木村剛氏と落合伸治氏との間に発生した取引において、一方的、あるいは片務的な不正取引はなかったかどうか。
これは、民事上の話と、日本振興銀行社外取締役と営業部長との間の話とが混じっていて、後者の話で、銀行経営や銀行財産の処分等について、2者間の密約のような話があったのなら「問題」だと思うけれど、民事上の話ならば、うまくやったらいいんじゃないのということで、同じくどうでもいい話ではないか。これも、現在のネタではちょっと「問題」とは思えない。
D 報道内容において、木村剛氏と落合伸治氏と両者の主張に根本的な食い違いが見られる。本人だけの事情によるものなのかどうか。他者の意向が介在する場合、それは何であり、何故そのような主張になったのか。
これも現状の情報では判断できない話だと思う。結局、落合氏の主張は、日本振興銀行について、取締役を入れ替えろという株主としての銀行経営に係る主張のように思える。損害賠償を求めている訳ではない。内容証明郵便云々の件も、労働法上の不当解雇に係る回復請求ではなく、銀行経営に係る地位獲得(回復)が主旨のようだから、同行の株主の間で話し合って決めてもらう話だろう。
E 日本振興銀行は銀行業として永続性のある業務を遂行できる状態にあるのかどうか。永続性がないとして、それを見抜けなかったのかどうか。さらに、見抜いていたとして、永続性がないにもかかわらず設立が強行された理由は何か。
これは、現在の日本振興銀行の経営状態が、不適切な設立認可の存在を推察させるという話なのだろうか?これも、同じく現状の情報からはちょっと「問題」とは考えられない。

苦しい経営状態だが、現時点で過小資本ではないし、現状の不良債権の程度なら、清算すれば預金を払い戻せる状態だから、債権者や預金者に迷惑がかかる状態ではない。設立時の株主の期待には応えていないとしても、それは投資なのだから、投資家として各自で判断してもらうしかないだろう。株主として現在の経営に不満ならば、Dの場合と同じように、株主総会で話してもらうことだろうから、私のような者にはどうでもいい。

つまり、現状の情報では、日本振興銀行の苦しい経営にかかる株主間の思惑と、経営者達の民事的な揉め事という程度の話ではないだろうか?これくらいは、新興企業ではよくあることなのではないだろうか?商法上の背任とか銀行法上の問題が明確になっている状態とは、報道されている情報からは思えない。

後、切込隊長氏が:

運転資金の需要があるのに流動資産が不足していて、しかも担保がないという時点でいきなり「破綻懸念先」となる可能性が高い。

と書かれているけれど、これは煽りすぎではないだろうか?

この情報だけだと、こういう状態の企業は、流動性不足で資金ショートになっているだけで、それで担保がないからといって、金融庁の銀行用検査マニュアルを見る限り、いきなり「破綻懸念先」には分類されないと思う。かなりの債務超過になっていて、その解消と既存債務の償還にとんでもない年月がかかるとかが分類条件だったのではなかったか?

まして中小企業の場合には、与党からの突き上げ等で作成された、中小企業貸出用の検査マニュアルがあったはずで、経営者個人の財産等も会社財産として勘案することになっていたりしたと思う。赤字が2期続いたあたりで、やっと「要注意先」になるくらいではないだろうか?もちろん、こういう企業を、貸したくない相手と判断する銀行は、確かにあるだろうけれど。

個人的には、日本振興銀行は、もう少し債権流動化市場とかジャンクボンド市場が日本でも発達してくれば銀行として経営できるビジネスプランだと思う。ただ、現状ではそうした市場が不十分で、抱えた不良債権の処理コストが経営を圧迫しているのではないかと思う。専門家ではないので、いい加減な予測でしかないけれど。

切込隊長の続報を待ちたい。

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December 07, 2004

都は、都を検査できているのか?

排ガス虚偽データ 都職員、実験中に釣り 立ち会い先で物産社員と
排ガスデータ:都の検査甘く 自社試験で審査パスも
東京都、データねつ造で三井物産社員ら告訴へ

首都圏のディーゼル車排ガス規制で三井物産が虚偽データを提出して指定を受けたディーゼル車の粒子状物質除去装置(DPF)の話だけれど、一番上のリンクは、その装置の性能確認実験の際に、都職員の立ち会い2人のうち1人が物産職員と釣りに出かけていたという話。

こういう奴がいるから、公務員批判が止まないのも無理はない。『都は~職員2人から事情を聴く』ということだけれど、本当にちゃんと処置してくれるのだろうか?

真ん中のリンクは、虚偽データを受け取ったとされている都側の検査制度自体が、自社や親会社の検査のデータを認容する、ちょっと「甘い」ものとなっており、指定した25製品のうち12製品が、他の13製品のような公的機関での検査を受けていなかったという話。

自社や親会社の検査が全て甘いとはいえないとしても、公的機関検査で統一した方が偽造データを受け取る可能性は減るはずだ。それでも都は、今後もこの制度を変える積もりはないらしい。

かなり昔の話になるけれど、某銀行がシステムクラッシュした時も、都は急いで検査に入ったけれど、大した成果は得られなかったと聞いたことがある。検査態勢ってどう考えているのだろうか?偽造データを受け取るということは、自分達にも隙があったということではないだろうか?

最後のリンクは、そんな自分達の態勢はともかく、都が、三井物産を「詐欺」「公正証書原本不実記載」「偽計業務妨害」の容疑で告訴するという話。

もちろん、物産が不正に取得した補助金相当額約18億円はちゃんと取り返してほしいけれど、釣りをしていた職員の給料とか、私達の生活を守ってくれる公正・確実な検査態勢については、誰が訴えてくれるのだろうか?

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December 06, 2004

もう「少子化」は前提なのでは?

人口減少へ危機感「今後5年が重要」

内閣府が「少子化白書」を発表して、第2次ベビーブーム世代が30代前半となる『今後5年間』が「少子化の流れを変える好機」と位置づけているという話。

ちゃかす積もりはないのだけれど、少子化対策(エンゼルプラン)が95年に始まってから10年が経つけれど、出生率は下がっている。今回の白書でも新しい対策は提案されなかった様子。

もう、少子化を前提とした経済社会政策の修正に取り組んだ方が間違いないのではないだろうか?人口減少への対策が後手に回ってしまうのではないか?

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December 05, 2004

なぜ今、個人所得増税なのか?

定率減税で賛否両論、GDP2次速報受け次回さらに議論=諮問会議
来年度 国債依存度4年ぶり下げ 法人・消費税収伸び

上のリンクは、景気が回復してきたので、国の財政再建に向けて、所得税、個人住民税に導入されている「定率減税」を縮小・廃止しようという話。

よく分からないのだけれど、下のリンクの記事では、財務省は来年度は国債依存度を引き下げるようで、その理由は、法人税収と消費税収の伸びだそうだ。それで、なぜ、所得税と個人住民税という個人所得への増税なのか?法人税や消費税なら、まだ分かるけれど?

どこかの記事でも、直近の企業決算では統計史上最大?の利益が計上されているとのことだった。そりゃそうだと思う。

雇用は回復してきたといっても、有効求人倍率はまだ1を下回っているから、働きたい人みんなに求人がある状態ではない。まだ、企業はそんなに人を取り始めている訳ではない。

人員・設備削減によって景気は回復したけれど、その売上増は、まだ給与よりも内部留保に向けられている様子。

設備投資が伸びているけれど、昨今の設備投資は輸出部門とIT化、省力化の要素が強いようだから、国内雇用の回復に強く結びつくものではなさそう。個人レベルの所得改善にはまだまだ結びつかないはず。

それに、企業は抱えている過剰債務と過剰設備の償却を、(抜本的な経営改革ではなく)内部留保を厚くすることで乗り切ろうとするだろうから、労働分配率の低さは、しばらくは変わらない可能性が高いと思う。つまり、企業業績が回復しても、それが給与所得回復にはなかなつながっていかないだろう。

この状態で、なぜ個人所得税の増税なのか?上記2つの記事や関連する記事を読んでも、その辺りが議論されている様子は伺えない。

「取りやすいところから取る」というのでもない限り、実に、よく分からない政策だと思う。

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すごい成功とすごい人の間にあるものは?

[週刊!神部プロデューサー] 「思い通りに作れなかった作品でも、自分らしさがにじみ出る」

「週刊!木村剛」の日曜日、神部プロデューサーのエントリー。タイトルは、行定映画の常連である俳優の津田寛治氏の言葉で、神部さんが行定監督関連の仕事をする中で聞いたという話。

「思い通りに作れなかった作品だったとしても、出来上がった作品を見ると、そこには行定さんらしさがにじみでている。そういうすごさがある」

2つ考えられる。1つは、行定監督という人は、「思い通り」(自分の考えなりを100%実現できた場合)でなくても、自分のカラーを作品の各ピースに浸透させられるくらいの影響力を、スタッフや出演者に及ぼせる人だということ。そういうチームを既に作り上げているとか、マネジメント力といったことかもしれない。

もう1つは、たぶん、神部さんが考えておられることで、行定監督のパーソナリティに何か特別な部分があるということだろう。これは上記の「影響力」を、少し神秘的に捉えることにもなるかもしれない。

そして確かに、(日頃から1つの組織にいる訳ではない)多くの人間を交えて作成される映画のような作品に、自分のカラーを出すためには、マネジメント手法だけでなく、人格的な魅力とか熱意、共感を呼べるものも必要になってくるだろう。

私自身は、少し斜めに見ている方で、「努力しなければ成功できないけれど、努力は栄光に結びつくとは限らない」とか「すごい人が成功することはあるかもしれないが、すごい人だからといって成功するとは限らない」「成功はすごい事だけれど、成功したからってすごい人とは限らない」と日頃から考えている。

そして最近は、何人もの(かつての)「成功者」が、毎日のように「墜ちて」いっているのを、紙上や画面上で眼にしてもいる。

つまり、何か或る事業・作品の成功と、それを作った人間を結びつけ過ぎると、作品と作者という人間の双方を捉え損なう可能性があると思う。近代的な批評ではそれが鉄則でもあるはず。

もちろん、私がすごい人に会ったことがないだけかもしれないし、行定監督のことを知りもしないで何か言おうとしている訳でもない。

ただ、例えば、行定映画の観客は、行定監督やスタッフが考えているほどには、行定監督を作品の中に確認している訳ではなく、どちらかといえば登場人物とか美しいシーンとかに感情移入しながら観ている人が多いはずだ。

そして、そんなことは承知の上で、すごい作品を作り続けているとしたら、行定監督という人は、本当にすごい人なのだろうと、私も思う。これを機会に、邦画は殆ど観ないのだけれど、行定監督の作品、「世界の中心で~」辺りを観てみようかと考えている。作品を通じてになってしまうけれど、まずその人に触れてみるべきだろうから。

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December 04, 2004

金融改革に必要な、とっても簡単なこと

[本のソムリエ] 金融アンバンドリング戦略

「週刊!木村剛」の土曜日、「本のソムリエ」の今週の推奨。

決して、今週推奨されている本のことではないのだけれど、残念ながら、『金融~(カタカナが入る)~戦略』という本は、ちょっと多すぎるくらい出版されてきたと思う。それも、欧米の動きをちょっと日本流にアレンジして、マーケテター本位、或いは政策担当者本位で書かれたものが80年代からずいぶん出てきたと思う。

今週の推奨の本は、『顧客のニーズに的確に応えうる新たなビジネスモデルを提示』している点で、そうした、自分本位でビジネスモデルを語っている本達とは違うとのこと。ぜひ、書店で確認してみたい。

ただ、金融機関が顧客のニーズを本気で考えて仕事を始めたら、それだけでもう十分に、『大革命』のような気もするのだけれど(w

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ブログの記事から、どうやって価値を見い出すか? 5

「週刊!木村剛」で始まった、「モノログ」について、書き忘れていたこと。モノについて語るブログから価値を見出そうとする「モノログ」は、いわゆる論壇とは別の「価値の場」になるのだろうなということ。

モノについてのトラックバックを集めてまとめる際には、例えば政策や時事問題についてのトラックバックと違って、書いているブロガーがどこまで本気で書いているか、どこまで書かれている意見にコミットしているかを、それほど気にする必要はないはずだ。

もちろん、それぞれのモノに対するこだわりはあるだろうけれど、モノを語る意見の「本気度」「コミットメント」は、政策や時事問題を語る際のそれとはかなり違っていると思う。

例えば、外国で生活し始める時、『地元の政治は話題にしない方が良い』とアドバイスされたりするが、モノや天気の話とは違って、思わぬトラブルを招くことが多いからだ。

モノについてのブログをまとめるのなら、例えばモデレーターの気苦労はかなり違ってくるだろうから、モデレーター役の担い手も見つけやすくなるだろうし、コミットメントの質の違いは、議論の質の違いにつながるから、モノについてのトラックバックからは、(或る種の罵倒合戦はあるとしても)「斬り合う」ような議論は生じにくいと思う。

こうした「意見の対立点を鮮明にしない」舞台構成からは、例えば、論壇に期待されるような価値は見出しにくいだろうけれど、たぶん「モノログ」が見出そうとしている、マーケティング寄りの別の価値には、ちょうど良いのかもしれないし、論壇とは別のブロガーやユーザーも集められるのではないか。

この辺りが、新しい価値の場として、「モノログ」に期待できる点ではないかと思う。

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December 03, 2004

自民党にも見放されてきた、社保庁

社保庁の解体論強まる 「改革能力、意思が欠如」 自民合同会議

自民党の社会保障制度調査会と行政改革推進本部が、社保庁改革についての合同会議を開いたところ、「社保庁が存続すると、年金不信がなくならない。幕引きをすべきだ」などの抜本改革を求める声が続出したという話。同会議は、来年春ごろまでに民営化や独立行政法人化、業務の大幅な民間委託を含めた組織の抜本改革の結論を出す様子。

どうやら、最近の社会保険庁は、自民党内でも評判が悪いらしい。ただ、上記の記事では:

「(国民年金保険料納付率の)目標を100%でなく、あえて80%にしているのは問題。改革しようとする意識が感じられない」
「村瀬長官は労働組合と協力しながら改革と言っているようだが、国会議員の年金保険料未納情報などを野党側に流すなど自らの組織をつぶそうとした労組とうまく話し合いができるはずがない」

という意見が出たという話だから、世論が求める社会保険庁「改革」とは、ちょっと違うのかもしれないけれど。

いずれにしても、社会保険庁改革ワーキンググループの武見敬三主査代行によれば、「社保庁には自助努力によって改革する能力、意思が欠如しているという意見が大勢で、これが本日の結論だ」とのことのようだから、同会議の今後の検討に注目してみたい。

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December 02, 2004

ブログの記事から、どうやって価値を見出すか? 4

「木村剛モノログ横丁~トラックバック井戸端会議」オープン

11月30日、「週刊!木村剛」で始まった、モノについて語るブログ「モノログ」。ブログから価値を見つけ出す、或いはブログに価値を付ける方法としては、なかなか良く考えられた手法なのではないだろうか?もしかしたら、「湯川・切込隊長論争」なども研究したものなのかもしれないと思えたので、少し書いてみたい。

まず、これまでのゴーログ(切込隊長氏の言葉を借りれば木村さん流のポジショントークも為される場所)とは切り離されたトラックバック・センターで、急速に増加してきている一般のブロガー達にもトラックバックしやすいテーマ設定が為されている。

論争や政策提言ではなく、身近なモノについて「ご意見番」(モデレータ)達が語り、ブロガー達からのトラックバックを募集し、それを月末のまとめに向けてモデレータがまとめていく。

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緊急時ならば、サービス残業も正当化されるのか?

震災の川西町、超勤手当は不支給…ボランティアに配慮

新潟県中越地震で大きな被害の出た川西町で、復旧業務等で残業が続いている町職員に対する時間外勤務手当を支給しないと決めたという話。

恐ろしいというか、従来からの悪弊が変わっていないと感じられたのは、以下の部分:

労働基準法に抵触する恐れがあるが、町は、被災住民やボランティア活動に配慮し、「職員が自発的に行った」とみなすことにした。

上記の記事に記述があるけれど、新潟県の他の市町村では支給を続けている。過去の震災でも減額しながら支給を続けたらしい。川西町だけ正当化される理由があったのだろうか?

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「検査」「監査」が企業にとってリスクである理由

「監査リスク」とは何事か

「週刊!木村剛」の11月30日のエントリー。株主に係る不正届け出が問題視される割に、あまり問題視されていない財務書類の虚偽記載の悪質性を、木村さんが糾弾している。

上記のエントリーの中で、「検査」「監査」がリスクと見なされることの奇妙さが書かれていたけれど、「検査」「監査」が企業でリスク扱いされる理由は、比較的簡単だ。そうした企業は、普段、そんなことにはお構いなしで運営されていて、経営陣や管理層も、そんなことお構いなしで儲けることを指導してきているからだろう。

それ以外、「検査」「監査」という『実際にあった通り』を検証する業務がリスクになる、妥当な理由が個人的には考えられない。

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