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January 27, 2005

大所高所での議論という落とし穴

「改革」の3段階理解して議論を

「週刊!木村剛」の水曜日、1月25日のコラム。構造改革の議論には3段階あって、それを無視した議論は改革自体の足を引っ張るだけという話。個人的には、いわゆる「大所高所からの議論」の偏重が背景にあるように思えるので、少し書いてみる。

<「大所高所からの議論」というもの>
私達の周りでは、「大所高所からの議論」が、現場の議論などより偉いと受け取られていることが多いように思う。政治、経済、社会、教育と相当に広い分野で共通に見られる傾向なのではないか。旧陸軍でも見られた傾向という記述も見かけたことがあるから、20世紀以来の伝統なのかもしれない。

たとえば、新聞や論壇誌の社説・論説欄には、まず具体的な議論は見かけられない。そういうことは新聞・論壇誌の「壇上」でする議論ではなく、「現場の部下にやらせておく事」という位置づけなのかもしれない。

そして、なぜか、「大所高所からの議論」の対極は「銭勘定」とされているふしもあって、そんな理由で、大所高所からの議論を選択している人は多いようだ。

ただ銭勘定の世界では、銭勘定以外の話は、「書生論」として嫌悪されるようなので、具体的・技術的な政策論は、どちらの側でも相手にされていないように思える。

あるいは、日本の人事制度というか職掌配分も、こうした状況に影響を与えている可能性もある。官公庁や大企業では、課長職以上の人達は、具体的な仕事にはタッチしないことが多い。

「大所高所からの議論」をするのが、彼等の職務と認識されているとすれば、大所高所からの議論がなくなることは、まずなさそうだから、そうした議論を受け取る私達の側で気をつけるしかない。

<とりあえずのまとめ>
結局、現場での実効性に責任を持たなければいけない人は、「大所高所からの議論」が、どの段階でどこまで役に立つのか、そして、大所高所の議論では、現場を適切に管理できるとは限らない、という点に、注意する必要がありそうだ。

大所高所からの議論をしてくる相手には、気づいていない事も多いので、その議論が「大所高所からの議論」であることを認識してもらう必要がある。或る時間以上、そうした議論に時間を費やすのを規制する必要もあるかもしれない。

大所高所の議論にしか耳を貸さない人達もいるかもしれないから、現場の人達は、そうした人達用に、大所高所からの議論を用意しておく必要もあるだろう。

そんなことにあまり時間を使っている訳にはいかないので、木村さんは『足を引っ張る』と言っているのだろうけれど、この伝統の根強さを考えると、そうした点には、大所高所からの議論が好きな人の協力を得てかわしていくしかないような気がする。

つまり、構造改革については、「今までを捨て去って新たに始める」という選択ができない場合が少なくない。影で改革を進めていく「サムライ」にとって、つきあわざるを得ないしがらみが相当出てくるだろうけれど、つきあわざるを得ないなら、何とかつきあっていくしかないのではないか。

そして、自分自身が、大所高所からの議論という落とし穴に落ちないよう、気をつけていくしかない。気持ちの点では楽になれる落とし穴のようだから。

#なお、当サイトの記事は、クリエイティブコモンズ・ライセンス(要作成者表記)によって
#ライセンスされているので、ライセンスに沿っている限り、ゴーログを始め、いずれで利
#活用されてもかまいません。

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January 20, 2005

ようやく騒ぎに終止符か?

木村氏ら現経営陣の解任案、株主総会で否決…振興銀行
報酬の半額を自主返納 日本振興銀行の社長、会長

上のリンクは、19日、東京大手町で日本振興銀行の臨時株主総会が開催され、株主の落合伸治氏らが提出した、現経営陣の解任を求める議案や落合氏ら10人を新たに取締役に選任する議案が、反対多数で否決され、振興銀行側が提案した元東京青年会議所理事長で同行顧問の平将明氏を取締役に選任する議案が、出席議決権数の8割以上を得て可決されたという話。

下のリンクは、「世間をお騒がせした」として、木村社長と小穴雄康会長が、昨年4月の開業から12月までに受け取った報酬のうち半額を自主返納すると表明した話。

昨年末からの騒ぎについて、まず会社としての整理は付けられたということだと思う。後は、日本振興銀行が掲げたビジネスを実現するべく、実績を出していくしかない。

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January 16, 2005

ゴーログには、ちょっと珍しいエントリーでは?

[フィナンシャル i] 一大転換点迎えた05年金融行政

「週刊!木村剛」の木曜日、「フィナンシャルi」の1月13日のエントリー。書かれていることが間違えているとは思わないけれど、「評論家」より「当事者」の視点を重視するゴーログには、ちょっと珍しいエントリーではないかと思ったので、少し書いてみる。

このエントリーでは、前段で、地方金融機関のペイオフと決済性預金の話が書かれ、後段では、金融機関の破綻、合併・統合に伴う市場構造の寡占化の話が書かれている。

まず前段では:

日本はOECDの中でペイオフ完全解禁を行っていないのは唯一の国なってしまった。
また、決済性預金の永続的な全額保護は、世界でもチリに例をみるぐらいで、国際標準からかなりかけ離れた政策と言わざるを得ない。
とした上で、
ただし、「決済性預金」の全額保護の影響は限定的かもしれない。
「決済性預金」を選ぶ預金者は、当該地域において金融機関の選択の余地の少ない場合、また、マンションの管理組合や地方公共団体などのようにその公的な性格を反映して、安全性が第一であり、預け先も固定化したいというニーズを持つ場合などに限定されると思われる。
と続けている。

述べられている事は全く間違えていないけれど、4月から実施されるペイオフについて、どう評価しているのかが、いまひとつ不明瞭なままになっている気がする。

後段では:

バブル崩壊以降の十数年の間に銀行業の生じた最も大きな変化は、金融機関の破綻、合併・統合に伴う市場構造の寡占化である。
とした上で、
緊急時から平時への対応に力点の移った2005年の金融行政は、「金融重点強化プログラム」に盛り込まれたコングロマリット化推進によって、金融機関を更に大きくして国際競争力を強化することよりも、むしろ寡占化の弊害を認識し、国内での健全な競争促進に努めるべきである。
と結論づけている。

これも、述べられている事には間違いはないけれど、「寡占化」「競争促進」というのが、どんな計量に基づいて議論されているのかが不明瞭なので、『そりゃ寡占化は良くないから、競争を促進するべきだよね』という或る意味当たり前の話から、次にどう踏み込んで、何を達成すればいいのか、もどかしい記述で終わっているように思う。それに、うろ覚えだけれど、「金融改革プログラム」(PDFファイル)では、国内競争の促進も、少しは触れられていたのではなかったか?

結果として、タイトルである「大転換点迎えた05年金融行政」への、このエントリーのスタンスが、余り明瞭には伝わってこないように思える。

短い文章なので仕方のない事なのかもしれないけれど、ちょっと、ゴーログの「当事者」的なエントリーの中では、珍しいエントリーではないだろうか?もちろん、だからどうだという訳ではなく、ちょっと気になった次第。

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それなら、私達は弁護士の眼でも見てみるようにします

「検事の視点」と「弁護士の視点」:ブログはコミュニティだ!

「週刊!木村剛」の1月14日のエントリー。ゴーログの運営について、先日の問いかけを、木村さんが「メディアからコミュニティへ」「検事の視点と弁護士の視点」という言葉でまとめている。FiresideChatsさんquimitoさんginowan1さんから(Annexの方に)TBを頂いて、McDMasterさんのご意見も出ていたので、私なりに少し書いてみたい。

結論からいえば、どんなTBを削除されるのかは、最終的な判断は木村さんにお任せするしかない。ただ、私達に、そうしたTBについて「弁護士の眼」で見る余地も残しておけないかを、検討していただけたらありがたい、という或る意味月並みなお願いをしてみたい。

以下、勝手な事をあれこれ書きますので、適宜ご検討いただけたら幸甚です>木村さん

ゴーログでは、これまで全てのTBを削除しないことになっていたし、木村さんは(おそらく)全てのTBに眼を通していたのだろうと思う。これは、本来、一般の個人ブログには期待できない話で、ゴーログを「ハブ」たらしめていた、(たぶん)最大の特徴だったと思う。

木村さんが今回言っておられるゴーログの改編は、『ゴーログをもう少し個人ブログに近づける』ということではないだろうか?そうだとすれば、木村剛個人の判断として、どうしても削除したいTBがあったとしても、それほどおかしな話ではないはずだ。

ただお願いできるなら、削除するのは、TBがあってから1(~2)日後にして頂けたらと思う。その間に、ゴーログを注視しているブロガーは、或るTBが削除された事に気づいて、どんなTBだったのか、確認できる。ゴーログからTBが削除された後でも、そのブログのエントリーは読めるはずだ。

例えばゴーログについては、「笑わせんなヴォケが!」さんが開発・設置されている『月刊!木村剛 ポータルの「週刊!木村剛 トラックバックの題名一覧」』もあるので、そうしたチェックはかなり容易にできるはず。

或る削除TBをチェックした上で、『弁護士の眼』で見て、残しても良かったのではと考えたブロガーは、自分のブログにエントリーを作成した上で、それをゴーログのゲートキーパー(木村さん本人か、モノログの場合のような担当者の方)にTBする。異議申し立て期間は1日で良いと思う。

これで一応、私達が『弁護士の眼』で、削除されたTBを判断する最低限の機会は残るのではないかと思う。もちろん、結局のところは、どんなTBがどれくらい削除されることになるのか、その実情次第だろうから、こんな面倒なことは、全く必要ないかもしれない。

削除するとなれば、(通常ならば)これまでと同じかそれ以上の注意を各TBに払う必要が生じるはず。ゴーログがどう動いていくのか、まず注視する必要があるはずだ。それが、ゴーログに対する『弁護士の眼』だと思う。

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January 13, 2005

「お神輿経営」は日本の文化?

[週刊!岡本編集長] 「お神輿経営」はどこへ行く

「週刊!木村剛」の水曜日、岡本編集長の1月12日のエントリー。日本の会社経営に典型的な『お神輿経営』の話。

こういう経営は、何も会社だけではないと思う。政治にも行政にも認められる、日本の「文化」ともいえる現象ではないか?

難しいのは、岡本編集長の言葉でいうところの「新日本人」は、こうした経営文化の中で、どう泳いでいくかだろう。うまく周囲に合わせるか、それとも自分に合った場所を探したり作ったりするのか。

うまく周囲に合わせようと思っても、そうしたちょっと毛色の変わった奴には、お神輿経営の人達はなかなか厳しいけれど、会社などの将来を真剣に考えると、お神輿経営に加わる気にはなれない。「新日本人」はかなり困った立場になっているのではないか?

他方、お神輿経営命の「旧日本人」さん達にとって、お神輿経営は日本の「文化」なので、国民全員がその保護・維持に努めるのが当たり前と思ってしまっている。お神輿経営自体が、お神輿化している訳だ。

学力低下も問題だけれど、こうした「文化」を脱却することを、小学校から教えていかないと、お神輿経営は相変わらず、いい加減に日本を引っ張り回していくのではないだろうか?

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NHKにも、ジャーナリスト魂?

政治介入で番組内容変更、NHK担当デスクが調査要求

上記のリンクは、NHKの「戦争をどう裁くか」(2001年1月放送)の担当デスク(チーフ・ディレクター)が、同番組について、政治圧力による内容変更があったとして、NHKに内部告発し、今日13日に都内で記者会見を開いた、という話。

この番組については、制作会社2社が、取材先である民間団体、「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(バウネット)から、「事前説明と異なる内容に変更された」として東京地裁に提訴されており、2004年3月に、制作会社2社に賠償を命じた判決が出たとのこと。

従って、何らかの理由で、取材先への事前説明の趣旨とは異なる、放送内容改変があったことまでは、事実と考えてよさそうだ。

会見時の内容に基づくと思われる上記の記事では:

中川昭一衆院議員、安倍晋三官房副長官(当時)らが放送直前に同局で国会担当をする総合企画室の担当局長らを呼び出し、番組の放送中止を要請。これを受け、当時の松尾武放送総局長の指示で、「女性国際戦犯法廷」が日本国と昭和天皇に責任がある、とした部分をカットするなど変更した。さらにその後、中国人被害者の証言などもカットするよう制作現場に指示があり、通常44分の番組が40分に短縮されて放送された。
とされている。

NHKが本件をどう裁くのか、今後注視していく必要があるだろうけれど、少なくとも、本件を表に出した担当デスクの勇気というか、ジャーナリスト魂は、認められてもいいいのではないだろうか?(もちろん、内部にどんな事情があったのかは分からないけれど)


追記:
<NHK政治介入>「政治圧力受け番組変更せず」 NHK
<NHK「圧力」>海老沢会長の早期退陣訴える 長井暁氏
上のリンクは、NHKの関根昭義放送総局長が発表した見解の話。NHK幹部が中川昭一経済産業相と安倍晋三自民党幹事長代理と面会したことを認めたけれど、面会は呼ばれたものではなく、予算説明に合わせて番組の趣旨や狙いを説明した、という見解らしい。

下のリンクは、上記の担当デスク・長井暁チーフプロデューサーが開いた記者会見の取材記事。長井氏は、今回の公表以前に、NHK社内での問題提起をしていたようだけれど、上層部から満足のいく対応が得られなかったらしい。

少なくとも、現時点でいえることは、NHKが本件について、十分に適切な内部管理を行っていなかったということではないか。

仮に、長井氏の会見での公表内容に、事実でない部分が含まれているとしても、現場の実力あるジャーナリストが、強い疑問を持たざるを得ない状況があって問題提起をしていたのならば、NHKとしては、彼の問題提起に対して十分な調査や説明を行って、事実内容について、その時点で彼の納得を得る必要があったはずだ。

NHKは、ジャーナリストが十全な活動をすることで成立する報道機関であるはず。その点を軽視して、優秀なジャーナリストに今回のような行動を採らせてしまった時点で、NHKの管理態勢に不十分なものがあったと考えざるをえないのではないだろうか?

追記2:
<NHK特番>小泉首相、介入を否定しながら報道側に注文

12日に小泉首相が本件について発表した内容。安倍氏が番組放送前に「偏った内容」などとNHKに申し入れたことを認めた上で、『一方に偏らないで公正な報道を心がけていただきたい』と報道機関に注文をつけたという話だけれど、これはちょっと気になる。

一方に偏らない報道は、当然必要なことだけれど、それは或る報道を中和するのではなく、違った方向・意見の報道がそれぞれに為されることで、実現されるべきだろうから、本件の話にどんなふうに当てはまるのか、微妙な気がする。

今回のような件であれば、NHKの番組とは別に、自民党としての見解をまとめて、公表すれば良かったはず。そうした機会を得るのが、自民党にとって困難だったとは思えない。そうした形であれば、自民党の見解に賛成する人もいたはずだ。

<NHK特番>民衆法廷の主催者が抗議声明 NHKを批判

本件の特集番組の取材先である、市民団体「VAWW―NETジャパン」が、12日、NHK等に抗議声明を発表したという話。

会見では、『東京高裁から17日に予定されていた控訴審の結審の延期も検討しているとの連絡を受けた』という話も出たらしい。延期検討が事実とすれば、東京高裁は、長井氏の会見について、検討すべき新たな事実と捉えたのかもしれない。

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January 10, 2005

ブログは、マスコミより井戸端会議に近いのか?

ブログ:米国では読者3240万人、840万人が開設

上記のリンクは、Pew Internet & American Life Projectが、昨年11月に実施した調査についてのHotWiredニュースの記事で、昨年冬のアメリカでは、インターネットユーザーのうち、7%(840万人)がブロガーで、27%(3240万人)がブログの読者だったという話。

Pew Internet & American Life Projectの公表資料を見ると、同調査は、11月に2回に分けて、1861人のネットユーザーへインタビューしたもの。過去3回(02年6月、03年3月、04年2月)、同様の調査が実施されてきたらしい。

今回の04年11月の調査結果では、ネットユーザーの38%が、『ブログとは何か』知っていたとのこと。アメリカでも、まだ3人に2人は、ブログを知らないということらしい。ちなみに、ブログについては、Web上の日記も含めているとのこと。

そして、ネットユーザーの7%が、自分でブログを開設している「ブロガー」であり、アメリカのネットユーザー全体に換算すると、アメリカのブロガー人口は840万人ということになる。

その内訳をみると、男性は57%、30才未満は48%、7割がブロードバンドユーザーで、82%がネット利用歴6年以上とされている。

ブログ読者は、ネットユーザーの27%。ネットユーザー全体に換算すると3240万人で、前回調査から58%増と急激に増加している。内訳は、ブロガーと同じような傾向らしい。

これらのブログ読者のうち、他人のブログにTBやコメントを加えたことがある者は、ネットユーザーの12%、1440万人だった。

以上の結果については、いろいろな見方ができるだろうけれど、840万人が発行し、1440万人が「反応」しているブログというメディアは、従来の「マスメディア」とも「ミニコミ」とも違ったものになってきている、と見ることができる気がする。

発行側と反応側の比率が2倍以下、発行者と読者の比率がほぼ4倍。この比率からみれば、マスコミよりも、テーブルを囲んだミーティングに近いコミュニケーションなのではないか?

そんなコミュニケーションが、これだけの規模で、ネット上で行われている。そんな現象が、今後、どう捉えられて分析されていくのか、注目していきたいと思う。

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January 09, 2005

まず「首都圏振興銀行」を目指してみては?

[本のソムリエ] 「ペイオフ決戦!どうなる地域金融」

「週刊!木村剛」の土曜日、「本のソムリエ」の1月8日のエントリー。ペイオフを間近に控え、明確な戦略を求められている地域金融についてのドキュメンタリーが紹介されている。

それに絡めての、全く個人的な思いつきだけれど、木村さんが社長になった日本振興銀行は、当面、首都圏、特に京浜、京葉辺りに営業対象を絞って、首都圏振興をまず手がけてみてはどうだろうか?

出口である、不良債権の処理コストを、大きく低減できるような市場整備や運用環境が当分期待できないとすれば、入口である、営業基盤の方を絞り込んでみるのも、1つの手かもしれない、という単純な思いつきにすぎない。

首都圏、例えば大田区辺りには、高度な製造技術を持っているのに資金繰りが苦しい中小企業が相当あるはず。こうした先にリレーションシップ・バンキングを交えながら、日本振興銀行としての特色を活かした融資を成功させられれば、同行の今後の基盤としていけるのではないだろうか?

技術力を活用できていない中小企業に対して、これまでの中小企業金融では、手形を介して運転資金を融通し、景況が回復するのを待つような融資が目立ったように思える。

経済構造が大きく変動している時に、こうした融資だけでは中小企業は技術を活かせないまま、いずれ資金繰り破綻するしかないはず。

足で実態を把握できる範囲で、こうした中小企業に必要な、構造転換のための融資を成功させられないか?これは、日本振興銀行のアジェンダでもあるはずだ。

もちろん、当たり前すぎる発想なので、木村さんには釈迦に説法で笑われてしまうだろうけれど、万が一にも何かの参考になれば。

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「木村剛のブログ」に回帰してもいいのでは?

「週刊!木村剛」をどうすべきか?

「週刊!木村剛」の1月4日のエントリー。遅ればせではあるけれど、お世話になっているブログの今後について、『皆さまのご意見もお寄せいただけると幸い』とのことなので、少し書いてみたい。

昨年1年間で、ゴーログは大きく変わったと思う。大ざっぱに言って、年前半は「木村剛のブログ」の色彩が強かったけれど、後半は「ブログ界での大きなハブの1つ」の色彩が強くなった。

私自身にとっても、前半は「定期的に読むブログ」だったけれど、後半は「定期的にTBするブログ」だった。こうしたブログを運営・維持して頂いたことに、改めて感謝したいと思う。>木村さん

ただ、年末にかけて、その「ハブ」としての立場なり機能なりが、ゴーログにとってプラスに作用しなくなってきたのではないかと思う。

「レビューのとらお」さん、「Fireside Chats」さんがそれぞれ書かれているけれど、「Blog of the Week」を見直すのならば、実現する形はいろいろあるとしても、ゴーログの中の「木村剛のブログ」に、木村さんは集中されていった方が良いだろうし、銀行の社長業をされるとなれば、それが現実的だと思う。

私自身は、日経BP辺りに連載されていた木村さんのコラムから、ゴーログに流れてきたクチなので、当初からゴーログの「コラム」が目当てだったから、上記のような方向性でもかまわない。

ただ、「公的年金タスクフォース」と「月刊!木村剛」という2つの試みについては、成果を期待しているだけに、どんな形で継続されるのかが、気になるところだ。

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January 07, 2005

公選法というよりは、法律審議の実効性が問題のはず

[週刊!神部プロデューサー] 行ってきましたよ。名古屋に。

「週刊!木村剛」の金曜日、神部プロデューサーの1月7日のエントリー。先日の名古屋市長選挙での「マニフェストを聴く会」の様子を報じておられるほか、先週のエントリーに対する公職選挙法関連のTBについても書かれている。私もそんなTBを送った1人なので、少し書いてみたい。

ただ、 なんでも、日本の公選法は世界一と言っても良いぐらいに事細かに規定があるそうで、議員の方でも、ちゃんとわかっている方はあんまりいないようです。
違反は違反で問題ですが、その一方で「公選法」が実は現状にマッチしていないということもいえるかもしれません。中には「おかしな規定」もあると聞きます。このあたりで「公選法」のおかしなところを洗い出して、実態にマッチした「公選法」に改正する事を考えても良いのかもしれませんね。

公選法を改正した方が良いのでは、というお話は同感です。ただ、私が個人的に「なんで?」と思ったのは、法律案を検討・審議している議員さんや政党の人達が、その法律について「知らない」としたら、誰が、『現状/実態』に適合した改正を検討・審議できるのか、ちょっと疑問に感じたからです。

神部プロデューサーは、『選挙で立候補した議員が公選法をちゃんと守れない(判らなくて)でどうするの』と要約されていますが、ポイントは、『法律案を自分達で作って自分達で採決した議員やそのサポート組織が、同じように検討・採決した公選法をちゃんと知らないなんて、本当はありえない話』ということだと思います。

当たり前の話ですが、国の法令を成立させる投票には、国会議員しか参加できません。そして、国会議員をサポートする組織として政党がある訳です。

その国会議員や政党担当者達が法律の全体像を知らないとしたら、本当に現状や実態に適合した法律改正を審議・決定するのは、難しいはずです。先日の最高裁判決の事案は、そういう「ありえない」事例だったと思います。

国会議員の方々個々人の資質というよりも、国会という仕組みに頼るしかない私達にとって、その機能の実効性を高めて欲しい訳です。その意味で、公選法改正も必要かもしれませんけれど、公選法という1つの法律だけでなく、国会の法律審議自体を、より実効性の高いものにする必要があるのではないでしょうか?

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January 06, 2005

旧日本人は如何にして旧日本人になったのか?

[週刊!岡本編集長] 新年と引っ越しのごあいさつ

「週刊!木村剛」の木曜日、岡本編集長のエントリー。宗文洲氏の『ニッポン型上司が会社を滅ぼす』に絡めて、持論の『新日本人/旧日本人』をさらに展開されている。新年のご挨拶がてら、少し考えたことをトラックバックさせていただきたい。

この本の中では、「努力、頑張り」などの精神主義、「会社のためならなんでもする」という集団主義がとことんこき下ろされています。痛快です。
それは古い考え方をこき下ろしたいから言っているわけではなくて、それが成果に結びつかない無駄な努力だからなんです。そういう人が上司だったら、みんなの努力が無意味になっちゃうじゃないですか。それはそのチームが負けるだけではなくて、社会全体にとっても資源の無駄になるというところが問題なんです。宋さんはそれを「大義」という言葉で表現しておられますね。

岡本編集長の「新日本人/旧日本人論」は十分納得できる。私自身は、「旧日本人」達も、生まれながらに「旧日本人」だったわけではなくて、彼等を「旧日本人」たらしめているのは、その世代とか血液型というよりは、彼等の会社等での言動だろう、と考えている。

同じ時期に生まれた人でも「新日本人」の人もいるし、「旧日本人」の人が「新日本人」に変わる場合も、個人的には見たことがある。宗文洲氏の「ニッポン型上司」論も、そうした上司達に変革を促しているように読める(もちろん、変われるのならだけれど)。

ただ、厄介なのは、「旧日本人」達自身は『自分は、みんなのこと、会社のことを考えて、言っているんだ』と信じているらしく、自分の言動への批判は、『会社やみんなのことを考えていない奴等が、勝手なことを言っている』とか『会社のためを思っている俺が理解されないなんて、悲劇だ』と受け止めることが少なくない点だ。つまり、自覚してもらうのがかなり難しい。

どうすれば、彼等を納得させて変革させることができるのか?彼等自身が自己改革していくしかなさそうだけれど、それが実現しないと、会社や社会にとってマイナスのままだとしたら、同じ職場にいる者などには他人事ではない。

身近な職場などで「戦っていく」しかないとしたら、彼等がなぜ、旧日本人的な言動を取るようになり、今までそんな言動を続けているのか、理解する必要があるようだ。

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January 04, 2005

木村さんが実績を示してくれることを祈りたい

この2年間が関が原だ!
日本振興銀、木村剛氏の社長就任を発表

上のリンクは、「週刊!木村剛」の1月4日のエントリー。2007年までの2年間に、日本の財政構造には、「破壊」という大鉈を振るう必要がある点で力説されている。議論として全く間違いはないと思う。

そして、たぶん木村さんも同様に感じていると思うけれど、「いよいよ後2年しか残っていない」ということだと思う。

2番目のリンクは、日本振興銀行の代表取締役社長に、木村さんが就任したという話。

フィナンシャル・ジャパンやKfi社長、金融庁のアドバイザリー・チームを辞めた上で、昨年末に報道されていた株主とのトラブルについては、株主総会を開いて解決を図り、『(中小企業向け無担保貸し出しという)ビジネスモデルが成立することを数字で示す』とのこと。

経営者が「数字で示す」と言うのだから、実績として、利益目標なり経営計画を達成してみせるということだろう。昨年末のトラブルへの対応としては、筆頭株主としても、経営陣の1人としても間違いのない判断だと思う。

是非、日本振興銀行の実績によって、「中小企業への無担保融資が成功するはずがない」とか「中小企業=(潜在的)不良債務者」という通念を破壊していただきたい。日本振興銀行だけでなく、日本の金融にとっても重要なアジェンダだから、今後も注目していきたい。

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January 03, 2005

『希望格差社会』を読み終えて 3

山田昌弘氏の『希望格差社会』を読んで考えた事を、もう少し書いてみたい。

以下は、『希望格差社会』における山田氏の主張の正確な解説というよりは、私なりの勝手な読みと敷衍による文章というべきだと思う。読まれる方は、その点、ご注意いただきたい。

<山田氏の提示する「教育問題」への視点>
山田氏の著作を読んだ上でブログに書いてみようと思ったのは、教育問題を、外側からうまく捉えていると思ったからだ。

現時点での教育(制度・政策)の失敗・効力低下を捉える中で、これまでの教育制度からの大きな変更が近年にあったことと、現時点の教育の失敗・効力低下との結びつきについて、山田氏は新しい視点を提供してくれたと思う。

つまり:
1)近年の政策変更以前の教育(仮に「これまでの教育」と呼ぶ)を成功と捉えるのか?
2)近未来に限った今後についても、「これまでの教育」は成功できるのか?
という2点への判断・分析を抜きにして、現在の教育政策の失敗を論じても、有効な結論は出ないはず。

1)は、「成功」の価値判断かもしれないが、仮に成功と捉えるとしても、「どんな成功だったのか」「なぜこれまで、「これまでの教育」は大きな効力低下という失敗に到らなかったのか?」という問いかけと分析が必要だろう。

山田氏は、『パイプライン』という概念で、これまでの教育システムを捉えた上で、『パイプライン』を機能させていた、90年代までの日本の経済環境・社会環境を説明することで、上記の問いかけに氏の回答を示していると思う。

『パイプライン』として捉えられた教育システムとは、元々、その中を円滑に流れていくことが求められているシステムで、受験や就職といったパイプの各分岐をうまく停滞せずに流れている限り、学習内容の修得といった、流れていく各人の質的な高度化、学習内容の修得度合いなどは、それほど厳密にはチェックされていないはずだ。

こう捉えてみると、そんなシステムが成功できる経済社会情勢下では、『別に就職できて中流になれれるのなら、いいじゃないか』ということで、そもそも、客観的な学力の評価・維持が、社会全体の目標なり要請にならなかった可能性があることが分かる。

言ってみれば、『パイプライン』としての教育システムとは、仮に、或るレベル以上の学力修得が学校教育の目標だとしたら、そうした学校教育自体に、それほど重きを置いていなかったシステムだったといえるだろう。学力低下とは、学力というものを、そもそも私達が本気で維持管理してこなかったことの結果なのかもしれない。

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January 01, 2005

湯川さん、あけましておめでとうございます

2004年末に考えるニュースサイトの形

湯川さんの「ネットは新聞を殺すのか」の12月31日のエントリー。どちらかといえば、参加型ジャーナリズムについての、湯川さんの初夢のようにも受け取れる。

『どんどん突っ込んでいただきたい』とのことなので、新年早々、不躾ではあるけれど、少し書かせていただくならば、湯川さんが言っておられることは、間違いない話ばかりだ。

後は、そうした新しいジャーナリズムを、誰がどんなふうに実現するかだろう。湯川さんは、既存報道機関が提供することを想定されているようだけれど、もちろんそれでもかまわない。

2005年は、湯川さんには、初夢がてら、既存報道機関で、参加型ジャーナリズムを実現し、継続させていくには、どんな条件をクリアする必要があるのか、既存報道機関だけで実現するにはどんな手法が必要なのか等、実現に向けた、より具体的な夢も、聞かせていただけたらありがたい。勝手ながら、それを語るのに適任の人とも思っているので。

言い方を変えれば、湯川さんは、既存報道機関が実現すべき「参加型ジャーナリズム」を、ブログを通じてブロガー達(及びネットを見る人達)と語っている。本来は、既存報道機関の人達に話せば済むはずだし、そうした人達に話さなければ、(少なくとも既存報道機関による参加型ジャーナリズムは)実現できないはずだ。

つまり、湯川さんの思い描く「参加型ジャーナリズム」の一方の当事者には、ブロガー達が含まれていて、現在のブログを通じて、新しいジャーナリズムをブロガー達と語り合うこと自体も、「参加型ジャーナリズム」の試行、ということなのだろうか?

新年は、そんなお話を期待しながらTBしていきたいと思いますので、宜しくお願い致します。

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