阿呆の居場所がない日本に、確かな明日はあるのだろうか?
「週刊!木村剛」の木曜日、ゴーログの2月3日のエントリー。拙稿に言及していただいた上で、「大所高所の議論」と「銭勘定」の間をつなぐには、阿呆になれるエネルギーが必要だろう、とされている。
先日の私の記事で書かせていただいた、「大所高所の議論」と「銭勘定」との乖離は、木村さんが言われるように、本当に必要な議論をまとめるために、とんでもないエネルギーが必要だからこそ、起きるものなのだろうと思う。
国民各自の財布や雇用への影響にもきちんと言及した上で、財政改善をまとめあげて推進していくこと。安易な財政出動などできない中で、誰がどう、この困難な政策を進めていくのか?
普通に考えれば、こうした困難を回避した政策が実施されていくとする方が、「現実的」だ。政策が策定され推進されていく場に、木村さんのいう『阿呆』の居場所がどれだけあるか、どうにも心許なく思える。
『阿呆』の居場所があまりに少ない、「利口な」日本の政策当局に、この局面をどう乗り切ることができるのか、注意しなければいけない気がする。


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